よく目にしたり耳にしたりする言いまわしのひとつに
「絶対に負けられない戦い」
というのがあります。
好きになれません。
負けられないということは
負ける能力がないということです。
そこには、自軍に対する過剰な期待と
相手に対する侮蔑とが含まれています。
あまつさえ「絶対に」ですよ、奇妙きてれつ、この上無し。
せめて「負けるわけにはいかない」とか
ストレートに「勝ってほしい」とか
その理由を伴って、示してほしいと願います。
僕だったら
「負けたくない」
としますね。
英語にすると、わかりやすいかもしれないですね。
"Never able to lose."
じゃなくて
"WE would no longer lose!"
ですね、「もう負けてたまるか!」というね。
意志ですよ、能力のableとかじゃなくて、wouldですよwould。
仮想の中で強い意志を示しましょうよ。
しかも「オデたちアタシたち」のWEです。
それは、応援するぞということです。
こうしましょうよ、マスの皆さん。
「絶対に負けたくない戦い」
おお、意志が見えるやん、一体感あるやん。ねえ?そう思うでしょう。
昨日は、レッスンの日でした。
全てを終えて、電車から降り
階段の途上で
向こう側から逆に登ってくる、見知らぬおじさんの泣いているのを
目の当たりにしました。
決して嬉しそうには見えませんでした。
何か精神的ショックを受けた過負荷による涙に見えて
僕は思わず、声をかけそうになりました。
おじさん、一体、どうしたんだい、と。
僕の後頭部がうずきました。
早く、帰れよ、と。
今日もまた、うずきます。
こんな天気のよい日に
どうにもこうにも外出する気になれず
家でぼんやり、天井を眺めています。
実は、6月に入った頃から
頭の後ろのあたりだけ、体温が違うような
どうも重たい感じがして
それが原因なのか結果なのかは判別できませんが
睡眠に悪影響が出ています。
30歳になったことについて
緊張しているのでしょうか。
とにかく、僕は個人的に頑張ろうと思っています。
「牛丼は、乳くさいのだ。」と脅されました。
誰か、牛丼を持ってきてください。
そして、におってみてください。
乳、くさいスか・・・?
主音に終止帰結することが
指示として外されるということに違和感を覚えるという出来事がありました。
日本語で言う音楽用語の「ルート」は
実用上、「主音」と「根音」とを兼ねています。
前者は、調性を決定するための主たる音、とでも言いますか
たとえばハ長調の主音はハです、イ短調の主音はイです。
ハ長調もイ短調も
どちらも同じくして
シャープもフラットもない音で構成されていて(便宜上そう言ってしまいます)
つまり、同じ音の集合によって成りたっているのですが
主音が違うので、並び方がずれていて、響き方が違います。
また、主音のことは
本来は「トニック」や「プリンシパル」と言うべきです。
一方、後者の「根音」は
和声の最下部の音のことで、まさしく根っこの音です。
4和声で言うと、バス(ベース)のことです。
こちらこそが、「ルート」です。
ここの駄文を日常的に楽しんでくださっている方たち
ビックリしました?
僕、音楽の話を、ほとんどここで出さないでしょう。
そういうことに興味のない人にとっては、つまらないものだからですよ。
色々と事情があるのでしょうけども
今現在、基本的な姿勢として
「ストリートライブ」と俗に呼ばれている
「無差別的演奏発表」には、合意していません。
やむを得ずの同意はできます、しかし合意はしません。
"I could say YES,but I would NOT AGREE."です。
原則的に言って、です。
それと似ているのではないかな、と思って。
つまり、僕は
音楽は、無差別に語られるべきでなく
演奏をするならするなりの責任を負ったり
聴かせてくれ、若しくは、話を聞かせてくれ、と求められたりがあるからこそ
どちらか一方でもあればこそ
成りたつものであるべきだと考えるからです。
僕の生徒たちは
高い月謝を支払って、僕から知識や技術を盗もうと必死で努力しています。
だから僕は
彼らに対しては惜しみなく演奏します、語ります。
そこには明瞭かつ信頼の置ける「成立」があるからです。
そこまで言って、じゃあ、なんで音楽の話を出したんだよ、と
言いたいでしょう。
たまにゃええかな思って(笑)
あれ?まずかったかな。
閑話休題。
強引に行くぞ!
多くの音楽は
トニックに終止帰結します。
「終わった〜!」という感じがするからです、落ちつくからです。
レ、ソ、ド、と弾けばわかります。
このレ、ソ、ド、は
ハ長調の中で
それぞれ
サブドミナント(の代理)、ドミナント、トニック
の和声のルートです。
まあ、この話は、いいや(笑)
ほんでね、とにかくさ
終止しようぜ、トニックに帰ろうぜというところを
「トニックに帰るという基本的な統一の下に
実際の音の出し方は遊ぼうぜ」という、はずしテクではなくて
「トニックには帰りません!
(強制的に)こう遊びなさい!」という、はずしテクが採用されたんですよ。
セッションで。
これは、別段、特別でない常套手段の1つなんです。
ですから、こんなに珍しいことをやった、ということを言っているわけでは
決してないんですよ。
ただ、僕が思ったのは
「役割的団員」ではなくて「個性的人材」を優先するならば
「このように遊べ」と強制して時間的短縮を得るよりは
あの状況なら
「遊べるよ?どう?」という余白を与えた方がよいのではなかったのかな、と。
たとえば、ハ長調で書かれた楽譜に
Dm(レ、ファ、ラ、の3和音)と書いてあったら
ベーシストにレの音を任せて
ギタリストはFmajor7(ファ、ラ、ド、ミ)を弾いてみたって、いいんですよ。
ダメだったら「遊びすぎ」て注意が来るでしょうし
逆に「イイ響きですね」て認められることもあるんです。
ギターは音域が狭い分、特にヴォイシング(音の並べ順)が命ですから
限定的指示の無い限り、常にチャレンジが求められているんです。
はずせばいい、てことでなくてね、チャレンジです。
それは、まあ、ギタリストに限った話ではありません。
ああ、音楽の話は難しい(笑)
拡がる一方で、何言ってるんだかわかんなくなっちゃうんだよなあ。
う〜む
な〜んかねえ、な〜んか、もったいないって、思っちゃったんですよ。
そこがセンスの魅せどころじゃん!て、思たです。
でもまあ、それがみんなの選択なら、しゃーないかあ、と
素直に引きさがった次第です。
ドラムでいうと、う〜ん、ちょっと違うけど
フィルインの内容を定められちゃった、て感じに近いかなあ。
うげ〜て、思うでしょう?ドラマーの皆さん。
他の楽器奏者から、フィルインを定められちゃうんですよ?
もう、チューニングで反逆するしかないやん!
なんで反逆するという前提があるんだろう。
まあいいや。
フィルインを定めるには
それを旋律化した認識が必要不可欠だから
それは、そういうことなのだろう(と勝手に反逆勝手に納得)。
リハをする時間がものすごく限られていたりしたら
僕も同様に、遊び方を定めたりしますけどね。
ま〜でも、状況によるかな。
難しいですね、遊び方って。
気まぐれ音楽話、楽しんで、いただけましたでしょうか〜。
いつもの下らない話の方が、よっぽどつまんねーぞ!と
少しはマジメにやれ!と
思った、そこのアナタ。
SPA!を読んで、無駄にヘコむんで、どうか許してください。
チーズ・トマト・スパゲッチ
トマト1〜2個(サイズによる)をテキトーに切りわける(シュッ)
フェタチーズを食べたいだけ用意して
親指の爪くらいの大きさに切りわける(ムニュッ)
スパゲッチを食べたいだけゆでる(ゴワ〜)
フライパンに、トマトとフェタチーズをアンダースローで投げいれて
少しぐちゃぐちゃに焼く(ジュワ〜)
その中に
ゆで汁をショットグラス1〜2発分、打てっ(パシュッ)
香辛料(胡椒とかパセリとかオリガーノとかその類いのヤツ)が舞う(サラサラ〜)
火を止めて、ゆであがったスパゲッチをブチこむ(ズバッ)
塩が舞う(サラサラサラ〜)
混ぜたら、売れ(¥28,000にナリマース)
僕はレシピというものを嫌う。
最も腹の立つのが
大さじ小さじというヤツだ。
なぜならば
大とか小とかは
何かを標準にして
それよりも大きいのか小さいのかを表す形容詞であるからで。
「標準さじ」を持ってこい!
でないとデカいのかちっこいのかわからんわ!
なあ、みんな
夢はあるかい(尾崎豊の名言)。
いや、ちがう。
なあ、みんな
音声から雰囲気を読みとるのだよ。
耳を研ぎすますんだ。
きっと、じきに量なんかわかってくるさ。
好みで
バター、赤ワイン、ツナ、ベーコン、乾トマト、ふりふりチーズ
などを入れてもよいと思うが
買ってくるのが面倒くさいので
入れるな!
MEVGALというメーカーのフェタチーズが
成城石井みたいな感じの
SEIJO ISHIIで買える。
かのスーパーは、ブルジョワな感じで、腹が立つ。
でも僕は、腹が立たない。
なぜなら
そのフェタチーズのパッケージの色が
sky blueだからだ。
ギリシャの優れた点は
サッカーが盛んで、かなり強いこと。
それから
フェタチーズをたくさん作っていること。
以上2点だ。
それだけかよ!
は、NGワードである。
なぜなら
山田邦子だからだ。
made from 牛乳のフェタチーズはあんましおいしくないぞ。
ああ、みんなをギリシャに連れていきたい、日帰りで。
現地のスーパーで量り売りされているフェタチーズだと
そこそこのものでも、かなりおいしいぞ。
ファーストフード店(サンドイッチ屋とか)で使われているのは
過度にボソボソしていて、だめだありゃ。
きっと安物なんだろう。
残念なことに
輸入されているMEVGALのそれは、そっちに近い方なのだ。
だから、あっちのあすこらへんに行って
どっちかっつうとあのくらいの価格帯の
ああいう形をしたヤツを、食べたらいいと思うんだ。
そんなMEVGALでも
トマトと一緒に焼いてしまえば
溶けてボソボソ感がなくなる。
ああ、なんてシステマチックなスパゲッチなんだ。
チーズ・システマチック・トマト・スパゲッチ・デ・ラ・ゴディバ・コージーコーナーだ。
英語のことを考えながら歩いている時に
誰かにぶつかると「ソーリー」と言ってしまう
スペイン語のことを考えながらだと「ペルドーン」と言ってしまう
そんな僕は、根っからのギリシャ人である。
ギリシャ語で「すんまへん」は、どう言うのだろう。
あ、思いだした、スィグノーミだ。
いや、ちょっとちがう。
スィグノーミは、呼びかけを含む意味だ。
英語で言うところのイクスキューズミーだ。
ギリシャ人である。
これ(2008年6月号)を
電話注文しました。
「人を恨む、憎む、そういう気持ちを乗り越えて
また優しさを取り戻すためには
死ぬほどの努力をしないといけないんです!」
上記の言葉を誰が発したのか
もはや言うまでもないでしょう。
僕は純然たる傍観者であり
彼に対する助力や、ましてや同情など
軽々しく行うべきではないと考えています。
ただし
これだけは断言することができる、僕は
彼の目の先にあるもの、見ているものに
少なからず興味を抱いています。
身内や親しい方たちには
「マスを即ち信用するな。」と口すっぱく言っています。
なぜならば
編集や脚色を施されていない報道を
知りたいという思いと努力なしでは得られないからです。
もっと端的に申しますと
何かのニュースを見聞きして
いつも、問いかけられている、と、思うことができますか?
「ああ、そうなんや。」で終わりでしょう、たいがい。
何でもかんでも問いかけられていると思えるほど
時間的・心理的余裕がないのは理解しています。
だからこそ
「即ち」信用するな、と言っているのです。
それでも、上記の言葉は
まぎれもなく自らを語ったものだと判断して差しつかえないと
強く確信できる理由があります。
それは
「死ぬほど」という言葉を使った(おそらくは"使ってしまった")ことに起因します。
僕の購入した雑誌も
マスの発する情報です。
ですから僕はそれを「即ち」信用しません。
興味がある、だから読みたいと思う
でもそれが全てだとは思わない
得た情報の中から、何かを感じとれればいい
そういう読み方をするつもりです。
欲を言えば真実を知りたいと思いますけれど
僕は当事者・関係者でないので
それは不可能だとあきらめています。
知ったところで、それは僕の個人的欲求(不謹慎なそれ)でしかない
その後には何もない
だから、僕は知らなくてもいい
でも、読んでみたいのならば
読めばいい。
真実がどこにあるのか、という探りや勘ぐりを入れるのではなく
何をどういう風に語るのか、を知りたいからで。
数ヶ月前から注目していた
川崎フロンターレ所属の我那覇和樹選手のあの問題
「彼らは潔白だ。」という仲裁結果となりました。
我那覇選手にも、もちろん、おめでとうという気持ちがわきますが
僕はそれ以上に
チームドクター後藤秀隆氏に対して
内心、ささやかに、よかったね、と思っています。
そういえば
フロンターレて
今の僕の地元チームなんですよねえ。
川崎市に市外から引っ越してきたもんで
試合観覧の招待券がもらえるんですよ。
誰か、ご一緒しません?
あ、野郎にのみ限定しますよ。
女性とだと
アナタに夢中になっちゃいますから・・・なんつて(笑)
本来ならば
僕の睡眠時間は
6時間が適当であるようです。
皆さんは
ふだん、どのくらい眠っていますか。
旅のさなかにあると
動くことに夢中で
地に足がつかなくなり
いざ、生活が多少なりとも落ち着くと
自分が旅のさなかにあることを忘れてしまいます。
旅というものは
休みでもあり、また多忙でもあるのです。
その期間が長ければ長いほど
休んでいるのかそうでないのか
境界線が不可視化する傾向にあります。
随分前にも申しあげました
「暇人」と書いて
「ひまなひと」と読まずに「ひとはひまナリ」と読むべきであると。
生から死の間で
一体何を為したいのか
為した結果それがどう成されたのか
成された次に何をどう為すのか。
日常というものの辛さから目を背けさえしなければ
旅という大きなものの存在を
時折、確認し、また、是認することができるはずです。
僕の、今得ている結果が
次にどう転がるのか
不安で眠れず、楽しくて活きている、この相対する状態を
一体化したまま連鎖した日常の中で
椅子に腰かけて、コーヒーを1杯飲むとき
あわてるな、そこに意味は無い
大きな旅のただなかで、ひとつひとつ大事に確認できればよい、と
再び腰を上げる勇気を持つことができます。
サプリメントの亜鉛を、ずっと飲みわすれていました。
このまま無かったことにしようと思います(笑)